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声にならなかった記憶のイメージを可視化する「AI Photography and Composite Memory」を読む | Knowledge #500

By cizucu · 2026年7月20日

声にならなかった記憶のイメージを可視化する「AI Photography and Composite Memory」を読む | Knowledge #500

Cover photo by Julie wei

声にならなかった記憶のイメージを可視化する「AI Photography and Composite Memory」を読む | Knowledge #500

Cover photo by Julie wei

2023年、cizucu magazineでも紹介した、あの写真を覚えているでしょうか。同年、ソニー・ワールド・フォトグラフィー・アワードで受賞しながら、作者自身がその受賞を辞退した一枚。ボリス・エルダグセンによる《Pseudomnesia: The Electrician》です。

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By cizucu

生成AIを用いて制作されたこのイメージは、当時大きな議論を呼びました。写真と呼べばよいのか、写真ではないのか。AIによってつくられた画像が、写真賞を受賞してよいのか。そうした問いが、写真界の内外で一気に噴き出した出来事でした。

2026年、最新の画像生成AIの精度から見れば、《Pseudomnesia: The Electrician》には少し不自然さが残っているようにも見えます。しかし、それでもこの作品が写真史のなかに最初の問いを投げかけたという意味では、ひとつの文脈を刻んだことは間違いありません。
なぜなら、この画像が投げかけた問いは、単に「AI画像は本物の写真なのか」というものにとどまらなかったからです。

むしろ重要なのは、AIによってつくられた画像が、私たちの記憶や歴史の感覚にどのように触れるのか、という問題でした。

AI画像は多くの「記憶の欠片」から生まれる

写真研究者デイヴィッド・ベイトは、論文「AI Photography and Composite Memory」のなかで、生成AIによる画像を「真実か偽物か」という観点だけで捉えるのではなく、「記憶」の問題として読み解いています。

AI photography and composite memory

ここでいう記憶とは、個人の頭のなかにある思い出だけを指すものではありません。
生成AIは、膨大な画像データを学習します。そこには、過去に撮影され、共有され、保存されてきた無数のイメージが含まれています。AIが新しい画像を生成するとき、それは完全な無から何かをつくり出しているわけではありません。むしろ、すでに存在していたイメージの断片をもとに、それらを再構成していると考えることができます。

つまり、過去のイメージの集積から立ち上がるものでもあります。

ベイトはこの点に注目し、AIが学習するデータセットを一種の「集合的記憶」として捉えます。集合的記憶とは、ある社会や文化のなかで共有されている記憶のことです。たとえば、戦争、家族写真、広告、報道写真、映画のワンシーンなど、私たちが直接経験していなくても、イメージを通してどこかで知っているものがあります。
生成AIがつくる画像は、そうした記憶の蓄積から現れてくるものだと考えられるのです。

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Photo by jc.ddd

ベイトの議論は、AIだけに閉じた話ではありません。むしろ、写真と記憶をめぐるこれまでの写真論に接続して読むことで、より立体的に見えてきます。その補助線として挙げられるのが、カジャ・シルヴァーマンの『アナロジーの奇跡 写真の歴史』です。

ここで重要なのは、シルヴァーマンが写真をただ過去を保存する装置として扱うのではなく、見る人の内側で記憶を呼び起こすものとして捉えている点です。写真は、撮られた瞬間を閉じ込めるだけではありません。時間が経ってから見返されることで、忘れていた感情や、言葉にならなかった経験をもう一度立ち上げることがあります。
そう考えると、ベイトがAI画像を「合成的な記憶の作業(composite memory work)」として読むことも、決して突飛な議論ではありません。

写真はもともと、記憶と深く結びついていた

AI画像をめぐる議論では、「写真は現実を記録するものだったのに、AIがそれを壊してしまった」という語り方がよく見られます。

写真は、記録であると同時に、つねに「記憶のメディア」でもありました。
家族写真を見返すとき、私たちはそこに写っている事実だけを確認しているわけではありません。ある日の空気、表情、関係性、あるいは実際にはもう曖昧になってしまった感情を、写真を通して思い出そうとします。ロラン・バルトのいう「プンクトゥム」は、この作用を言語化したものとも言えるでしょう。写真は、過去をそのまま保存するだけでなく、記憶を呼び起こし、時には頭の中でつくり直すものでもあります。

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Photo by hatuhinode

つまり、AIによって初めて写真の真実性が問題になったわけではありません。
写真は最初から、記録と記憶のあいだにある、真偽の危うい曖昧さを特徴として抱えていました。AIはそのことを、よりはっきりと「こんな感じでしょうか?」というイメージで私たちの前に差し出しているのかもしれません。AIが写真の持つ真偽の揺らぎを、より見えやすくしたのです。

《Pseudomnesia》が呼び起こした存在のイメージ

ボリス・エルダグセンの《Pseudomnesia: The Electrician》は、タイトルからして記憶の問題を提示しています。「Pseudomnesia」とは、直訳すれば「偽の記憶」を意味します。実際には経験していないことを、あたかも記憶しているかのように感じること。

ベイトはこの作品を、語られなかった歴史や、抑圧された記憶を呼び起こすものとして読み解きます。
私たちは、《Pseudomnesia: The Electrician》というイメージに、どこか見覚えのある空気を感じてしまいます。古い家族写真のようでもあり、戦前のヨーロッパの記録写真のようでもあり、どこか語られないまま残された歴史の断片のようにも見えます。

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Photo by Yishih

ベイトはここに、フロイトの「隠蔽記憶(screen memories)という考え方を重ねています。隠蔽記憶とは、思い出すことが難しい経験や感情が、別の記憶やイメージに置き換わって現れることです。

AI画像もまた、過去をそのまま再現しているわけではありません。

けれども、膨大なイメージの記憶を組み合わせることで、私たちがどこかで見たことのある歴史や感情を呼び起こします。そう考えると、AIは記憶をただ捏造しているのではなく、「もしかしたら」というIfのイメージを、社会のなかに蓄積された記憶の断片をもとに、機械の手つきで出力しているとも言えるのです。

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